長波帯への移行を完了し、標準電波の新時代に向けて惜しまれつつ、JJY短波帯標準電波が2001年3月31日12:00に閉局

短波帯JJYのワイヤーアンテナが敷設されていたNTT名崎送信所のアンテナタワー アマチュア無線家にもなじみが深いJJYの短波帯標準電波が,2001年3月31日12:00をもって廃止。短波帯のJJYは60年以上にわたって利用されてきましたが,近隣諸国の標準電波局の混信や短波帯の限界を理由に,長波帯JJYへ完全移行されることになりました。

 短波帯標準電波局JJYは昭和15年(1940年)1月30日,千葉県の検見川無線送信所で産声を上げました。当時の送信周波数は4/7/9/13MHz帯の4波で出力5kWでした。終戦直後,昭和20年8月15日〜21年4月1日に運用停止があったものの運用を再開。その後,12MHzを追加して2kWでの運用をおこないました。
 昭和24年には,検見川(千葉県)から小金井(東京都)に送信所を移転。送信周波数を4/8MHzとして時を刻みました。
 昭和26年6月28日には,周波数を2.5/5/10MHz(1kW)として,標準周波数業務のための実用化試験局の運用を開始しました。
 その後,JJYの業務は昭和27年に発足した「郵政省電波研究所」(独立行政法人「通信総合研究所」=「旧総務省通信総合研究所(CRL)」)に移管され,昭和29年に,JJYは実用化試験局から標準周波数局となりました。
 昭和30年には,15MHzの送信も開始。年を追うごとにJJYが刻む時の精度も飛躍的に向上してきました。
 手軽な設備で受信できるJJYは,アマチュア無線家の間でも,周波数の校正,時刻合わせなどに有効に活用されてきました。


短波帯JJYの正確な時を刻み続けた標準時計  JJYの送信所が小金井から茨城県猿島郡三和町に移転したのは昭和52年12月のこと。開設当時は民家の少なかった小金井周辺もその後急激に宅地造成が進み,住民からはJJYが与える電波障害の申し入れが絶えなくなっていたそうです。
 一方,CRLは昭和30年中盤から長波帯による標準電波局の実験を開始。JJYの管理運営と同時に,実験局JG2AQ,JG2ARを開設。さらにJG2AS(NTT検見川送信所に開設,40kHz)を開設し長波帯による標準時供給に関する研究を進めてきました。
 この長波帯実験局JG2ASは短波帯JJYより一足早く,NTT名崎送信所に移転し本格運用に向けての実験が続けられました。
 JG2ASが長波帯JJYとして福島県田村郡都路村(みやこじむら)と同双葉郡川内村(かわうちむら)境界の大鷹鳥谷山(おおたかどややま)山頂付近に設けられた「おおたかどや山送信所」から,実用化運用を開始したのは平成11年6月11日。この長波帯JJYの実用化と同時に,CRLは「近隣諸外国の標準電波局との混信問題」をはじめとした,短波帯の限界を理由として短波帯JJYの送信を,平成13年3月31日をもって終了することを発表。そしていよいよその日を迎えることとなりました。

(資料提供:CRL)



▲JJYの送信に5/8/10MHzの3台の送信機と1台の予備送信機が用意されていた。予備送信機は主送信機が故障した場合,1分以内に自動的に送信を開始するように設計されていたが,主送信機にトラブルが起こったことはなく,実際にこの予備送信機が活躍するシーンはなかったそうです(写真は予備送信機のオートアンテナチューナー)

 3月19日には,短波帯JJYの送信所であるNTT名崎送信所に,総務省,CRL,NTTの関係者をはじめ,短波帯JJYにゆかりのある出席者を集めて,「短波帯標準電波閉局式典」が慎ましやかに開催されました。
 式典の出席者にも,「若い頃アマチュア無線を楽しんでいた」という方が多かったようで…「学校を卒業して,郵政省の電波研に就職が決まったんですが,最初はどんな職場なんだか見当もつかなかったんです。当時,電波研の重要な業務の一つにJJYの運用があったなんて知りもしませんでしたし,その業務に自分自身が携わることになるなんて思いもしませんでした。アマチュア無線を楽しんだ経験のある私にとっては,電波研究所よりJJYという名前の方が通りがよかったんです(笑)」というお話をする方も……。
 式典に参加したJARL原会長は「JJYはアマチュア無線家の間でも,無線設備の周波数校正などを通じて古くから活用され,そして親しまれてきました。実は昨日(3月18日),JARLの埼玉県支部大会があったのですが,席上で短波帯JJYの閉局のお話をしました。出席者の間からも閉局を惜しむ声を多数うかがいました」と語っています。