昭 和 |
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平 成 |
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令 和 |
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1945年 (昭和20年) |
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8月 | 太平洋戦争終結 |
9月 | 短波受信の禁止解除 |
1946年 (昭和21年) |
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8月 | 東京・新橋の蔵前工業会館でJARL再結成全国大会を開催。会長に八木秀次氏、理事長に矢木太郎氏 |
9月 | 「CQ ham radio」がJARLの機関誌として創刊(第1号 定価4円) |
1948年 (昭和23年) |
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6月 | アメリカのベル研究所でトランジスタが発明される |
8月 | 第3回JARL総会を東京で開催。理事長に大河内正陽氏 |
11月 | JARL盟員番号(SWL番号)を発給 |
1950年 (昭和25年) |
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4月 | 電波3法が国会を通過、成立 |
5月 | JARL創立以来、最初のアワードHAC証が制定される |
6月 | 電波法施行 |
1951年 (昭和26年) |
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6月 | 第1回アマチュア無線技士国家試験実施(合格者第1級47名、第2級59名) |
1952年 (昭和27年) |
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7月 | 7月29日 全国で局免許申請者30名に予備免許がおりる。戦後のアマチュア無線再開として、のちに7月29日が「アマチュア無線の日」と制定される |
11月 | 再開後初のJARL総会が東京工大内の喫茶室「角笛」で開催(盟員50名参加) |
1953年 (昭和28年) |
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2月 | NHK TV(東京)本放送開始 |
5月 | 第1回QSOパーティーを実施 |
6月 | 北九州、熊本地方の水害で電波法令施行後初の非常通信 |
7月 | 第1回VHFコンテスト開催 |
1954年 (昭和29年) |
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12月 | JARL事務局が東京都文京区西丸町19に移転 |
1955年 (昭和30年) |
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1月 | JARL IARUに復帰 |
1956年 (昭和31年) |
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7月 | 第3回国際地球観測年(IGY)観測開始 |
1957年 (昭和32年) |
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3月 | IGY国際地球観測年でJA1RL、JA1IGYを設置 |
10月 | ソ連人類初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げ成功、 20/40MHzの電波発射、日本のハムが受信に成功 |
1958年 (昭和33年) |
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5月 | 電信級と電話級の資格が誕生 従事者免許証の期限が5年から終身に |
10月 | 皇太子殿下が東京・日赤本社内のJARL中央局をご訪問。JA1RL局の交信をご視察 |
11月 | 南極越冬隊で8J1AAを開設 |
1959年 (昭和34年) |
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4月 | 初の電信級と電話級の国家試験が施行 |
5月 | JA4VB盲人ハム1号に |
6月 | 社団法人日本アマチュア無線連盟創立総会が東京・日本赤十字社講堂で開催。初代会長に梶井謙一氏(JA1FG)が就任 |
1960年 (昭和35年) |
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3月 | わが国初のクラブ局JA1YAAを東京・飯田橋の逓信博物館内に開局 |
8月 | 第1回オールアジア・コンテスト実施 |
9月 | カラーTV放送が許可される |
1961年 (昭和36年) |
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4月 | 第2級に全アマチュアバンドが開放され、電信・電話級に21MHz・28MHz帯が許可 |
6月 | 沖縄に初の日本人局として石橋勇氏(KR8AB)が免許 |
8月 | 市民無線(シチズン・ラジオ、CB)許可 |
12月 | アメリカで、アマチュア人工衛星オスカー1号が打ち上げられる |
1962年 (昭和37年) |
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6月 | スイス・ジュネーブの ITU(国際電気通信連合)本部内に4U1ITUが開設される |
7月 |
JCCナンバー制定 JA1RL標識電波発射開始 |
1963年 (昭和38年) |
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2月 | JARL NEWS タブロイド判(新聞形式)となり、4月に第3種郵便認可 |
12月 |
SWLコンクール始まる JARL事務局が東京都豊島区巣鴨1−26 CQビルに移転 |
1964年 (昭和39年) |
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1月 | 430MHz帯バンド開放(430〜440MHz) |
2月 | 東京・巣鴨のCQビルにハムショールーム開設 |
4月 | 1,880kHzの割当が決まる |
6月 | 新潟大地震 日赤新潟県支部を中央局(JA0YAA)に非常通信 |
10月 | 東海道新幹線開業 東京オリンピック |
1965年 (昭和40年) |
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6月 | 養成課程講習会制度(電話・電信級)が発足 |
10月 | 日本南極観測隊アマチュア無線クラブ(JAREARC)結成 |
1966年 (昭和41年) |
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3月 |
JARL初の養成課程講習会開催 南極昭和基地に8J1RL開設 |
6月 | 1.8MHz帯に代わり1.9MHz帯として1,907.5〜1,912.5kHzが割当られる |
10月 | JH1AAAが関東地方で割り当て |
1967年 (昭和42年) |
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1月 | 東京・巣鴨のCQビル内に「JARLハム教室」誕生 |
5月 | 北九州市での第9回通常総会でアマチュアコード制定 |
1968年 (昭和43年) |
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2月 | JARL会員数20,000人を超す |
3月 | 公募によりJARL旗 |
4月 | オーストラリアでIARU第3地域会議が開催。JARLとして初の海外派遣、梶井謙一氏(JA1FG)と溝口皖司氏(JA1BK) |
5月 | 第10回通常総会が札幌市・共済ビルホールで開催。会長に村井洪氏(JA1AC)就任 |
12月 | 「JARLアマチュア無線ハンドブック」第1版刊行 |
1969年 (昭和44年) |
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3月 | FM本放送開始 |
5月 | 小笠原諸島、南鳥島が別カントリー(JD1)となる |
8月 | 小笠原父島で初のDXペディション(JD1YAB)を敢行 |
1970年 (昭和45年) |
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3月 | 大阪世界万国博でJA3XPO局を開設 |
4月 | 新アワード「WACA」「HAJA」制定 |
5月 | 第12回通常総会が奈良市・県文化会館で開催。会長に原昌三氏(JA1AN)就任 |
11月 |
社団局での外国人運用許可 駐日米国大使 アーミン・マイヤー氏の所属クラブJH1YDRが開局(外国人運用第1号) |
1971年 (昭和46年) |
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1月 | 7MHz侵入電波調査(アマチュア局一斉停波) |
3月 | 第2回IARU第3地域会議が東京・全共連ビルで開催 |
9月 | JARL制定「V・UHF帯使用区分」(チャンネルプラン)を実施 |
11月 | メーカー31社により日本アマチュア無線機器工業会(JAIA)が設立 |
1972年 (昭和47年) |
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2月 | 札幌オリンピック冬季大会でJA8IOC局を開設 |
5月 | 沖縄が本土復帰し、プリフィックスKR8がJR6となる |
8月 |
地方本部と各県支部発足 周波数の単位がサイクル(C)からヘルツ(Hz)に呼称変更 |
1973年 (昭和48年) |
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5月 | 7月29日を「アマチュア無線の日」と定め記念行事を行なう |
10月 | JARL NEWS 新聞形式から雑誌形式へ |
1974年 (昭和49年) |
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5月 | JARL保証認定機種 送信機系統図の記載が省略 |
6月 | 点字JARL NEWS発行開始 |