■広島県三次市立甲奴小学校卒業の子供たち(現在中学1年生)が国際宇宙ステーションと交信に成功
8月30日18:14、広島県三次市立甲奴小学校卒業の子供たち(現在中学1年生)が、国際宇宙ステーションに長期滞在中の女性宇宙飛行士、シャノン・ウォーカー宇宙飛行士(KD5DXB)との交信に成功しました。同校のスクールコンタクトは国内47例目、中国地方で5例目、広島県内で4例目、三次市内で2例目となります。また、女性宇宙飛行士との交信は国内で5例目です。
甲奴小学校でのスクールコンタクトのキーマンの1人である、JF4QPP松田加津美さんによれば、同校のスクールコンタクトは、当時の同校児童3名の父親の話から計画がスタートしたとのことで、地元のアマチュア無線家等、多数の協力者を得て「甲奴ミルキーウェイスクールコンタクト実行委員会」が組織されて、準備がおこなわれたそうです。
計画スタート時は小学生だった、14名の子供たちは同校を卒業して現在中学校1年生となっていますが、今回スケジュールが組まれたことで、出身校の甲奴小学校において国際宇宙ステーションとの交信に挑みました。
松田さんに準備から実施までの詳細なレポートをいただきましたのでご紹介します。
●「子供たちに夢の体験を」親父たちの挑戦
甲奴小学校のスクールコンタクト「甲奴ミルキーウェイスクールコンタクト」のプロジェクトは、2009年1月、小さな田舎町の3人の親父たちが小さなテーブルを囲んでの何気ない話から始まりました。NASA(アメリカ航空宇宙局)がおこなっている、夢のような話に夜な夜な思いを膨らませながら仕事の後に集まり、ARISSの勉強・自分たちが参加実現するための作戦会議が開かれました。その中でこのプロジェクトを通じ子供たちに多くの体験をさせたい、科学や宇宙等多くの勉強をさせたいと親たちの思いは膨らんでいきました。
そしてまずプロジェクトは、申請や勉強会・アンテナ作業などを考え、一人でも多くの協力者を集める(口説き落とす)ことから始まりました。2回・3回と集まるうちに、参加した親父たちが友達を誘い、2カ月あまりで子供を参加させたい親たち、そして協力スタッフが集まり始めました。
ちょうど若田宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに向かうスペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-119)が打ち上げられた日(2009年3月16日JST)に、交信希望の子供たちを集める案内のパンフレットを配りました。
4月には、子供たち保護者そして協力スタッフ31名で、第1回目の勉強会をスタートさせることができました。初めて今回のプロジェクトの説明を受けた時の子供たちの目の輝きは今でも忘れられません。そしてこれがこれから始まる夢のような時間への入り口になりました。
●大きく広がる協力者の輪!
勉強会が4カ月過ぎたごろから、地域の人たちにも活動が知られることになり多くの協力をいただきました。そのころには、子供たちの熱心さに親たちの方が突き動かされていました。子供たちのためにダメもとで、多くの学校関係者や関連団体等の方々に連絡をさせていただき、ARISSの説明はもちろん子供たちの活動内容を伝え協力をお願いしました。
今考えれば「ちょっと厚かましい行動だったかな?」とも思いましたが、やがて広島県下の多くの学校関係者や団体の方々に共感していただき、協力をいただけるきっかけになりました。
多くの講師の方に甲奴に来ていただき、いろんな科学実験やモデルロケット打ち上げ、地球や月の誕生の話そしてロボットがやって来たこともあります。時には講師の方の学校におじゃまして、もの作り体験でスペースシャトルの置物を作ったりもしました。
交信が決定するまでの1年半に29回の勉強会をおこなうことができ、気付いてみれば協力いただいた講師の方々13名、保護者・スタッフ17名、子供たち14名と思いもしなかった大きな活動になっていました。
そんな楽しく勉強会を進めている中、8月の国際宇宙ステーションとの交信が決まりました。連絡を受け子供たちの英語の練習にも熱が入り、交信日に向け追い込みに入りました。
●突然起こったハプニングの数々
そんな中、交信の瞬間まで、ハプニングや幸運が訪れました。
交信日の22日前には、アンテナのコントローラーの液晶画面が突然ダウンし、急遽メーカーに修理に出すことになってしまいました。でも本番でなくて良かったと思います。
そして20日前には台風4号接近。アンテナへの被害等も考え一時避難のためマストから下ろす作業を始めた時、目を疑う光景が目前に広がりました。なぜか絶縁テープで鉄パイプに同軸ケーブルを固定している部分が見事にショートし焼け切れているのです。どうも落雷の影響を受けたらしくケーブルはボロボロでした。
「もしこのとき、台風が来てなかったら、何も知らないままこんな状態で交信の日を迎えていたかも知れない」と思うとゾッとします。
そんな「アンラッキーなのか、ラッキーなのか判らない事件」が続く中、皆さんの協力で何とか修理・交換をおこないました。
そして交信当日、朝から晴天でコンディションは言うことなしです。会場の準備も昼過ぎには終わり、後は地元の方や協力いただいた多くの方を招いてのレセプション、そして交信時間を待つだけだったはずが…交信3時間前から突然の夕立、そして雷。みんな雨が止むのを期待して会場から空を見上げました。
しかし交信2時間前、なんとまたもやハプニングが会場をおそいました。雷の影響か突然の停電、数分後に復旧しましたが「もしもの事態」備えて、保護者の方々が発電機の準備を急遽おこない、最悪の時の交信機材の電源を確保し交信にそなえました。
●子供たちの声、宇宙に届く
16:45過ぎ、来賓の方々をはじめ、少しずつ集まり始めた観客を前にレセプションがはじまりました。司会者はもちろん、みんな交信予定の子供たちの保護者たちが分担しておこないました。お世辞にも上手ではありませんし、派手なこともできませんが、子供たちの交信に向け親たちの思いが、会場に花をそえていたと思っています。
会場に観客が増えるとともに交信時間が迫ってきます。今回のスクールコンタクトのために臨時に開設した社団局は8J4MW。予定交信時間10分前からコントロール・オペレーターをはじめ子供たちが無線機の前で、日本に近づいて来る国際宇宙ステーションを「オービトロン」で確認しながら待機しました。会場は緊張と期待が膨らんでいきます。
国際宇宙ステーションが台湾上空を通過するころ、交信可能エリアに入ってきたのを確認して、シャノン・ウォーカー宇宙飛行士をコールしました。日本では、女性の宇宙飛行士さんとの交信は、国内47回目となるスクールコンタクトでもまだ希少で、今回で5人目と少ない事例です。
コントロール・オペレーターが、1回・2・3回呼び出すも応答なしで、会場が静まり返った中、呼びかけ開始から約1分後突然、シャノン・ウォーカー宇宙飛行士の声がスピーカーから聞こえてきました。
会場がざわめき、子供たちもスタッフも思わず顔がほころびました。国際宇宙ステーションからは一人一人の子供たちにシャノン・ウォーカー宇宙飛行士が優しい声で丁寧に答えてくださいました。
交信中何度か電波状態が悪い時がありましたが、子供たちも落ち着いて質問を続け、予定していた14人の子供全員は全部で27問の質問をすることができました。
交信が終わった瞬間、会場は拍手と喚起に包まれ、感激のあまり涙をこらえきれない親たちもいらっしゃいました。
かく言う私も、交信直前に起きた多くのトラブルを思い出すと、無事成功した嬉しさに目頭があつくなりました。
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数人の田舎の親父たちが始めた挑戦ですが、多くの人々に助けていただき、子供たちともども最高の思い出を作ることができました。
そして交信内容の和訳を待つ間、会場の外に出た子供たちの目に奇跡のような光景が飛びこみました。
国際宇宙ステーションが通り過ぎていった方向の空に虹がかかって、ちっとできすぎたドラマのような光景がそこに広がっていました。
(レポート:JF4QPP松田加津美さん)
【参考】国内スクールコンタクトでの女性宇宙飛行士との交信
(09月06日、09月08日・写真を掲載)
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